そんなビールのCMの真似ごとをしてるケンもHEVENS DRIVEに来店するまではかなり情緒不安定な部分があった。楽観的な性格は生まれ持った勉学の才能が生み出したものより他はなく、おかげで情緒の発達が人より遅れていたというのが今こうして強盗犯として追われる身となった原点だろう。本人がどこまで気付いているかはわからないが、本人に過去の話から今に至る経緯を話させればこうなる。


「ねぇ先生、なんでこんな簡単な問題ばっかり出すの?もっと難しいのないの?」

それは小学校1年生の僕の素直な質問だった。

「あら、けんちゃんには簡単だったかしら。けんちゃんは頭が良いのねぇ」

「けんちゃんもうできちゃったの?すごいねぇ〜」

「すごーいすごーい」

教室中から賞賛の声があがって僕はわけもわからずたちまちヒーロー。

「ねぇ、この足し算どうやるのか教えて?」

「そうねぇ、けんちゃんは周りの皆に教えてあげなさい。教える事も一つの勉強よ」

「はぁーい」

ヒーローは忙しかった。

問題のわからない子が多くて、呼ばれる度に教室内を走り回った。

けど、心のどこかで満たされていなかった。

もっと難しい問題が解きたい。もっと色々な事を知りたい。

満たされない探究心を押さえ込み、目の前にあるヒーローゴッコに甘んじてた少年時代。

当然楽しくもあった。

ヒーローにはヒロインが常に一緒に遊んでくれたから女の子は常に回りにいっぱいいたし、先生も正義感のあるヒーローには優しかった。

誰も僕を怒る人はいない。やりたい放題じゃん。

やりたい放題やってたら終いには校長先生が「君は神童だ」だってさ。


5歳でヒーロー、10歳で神童、20歳過ぎればただの人とはよく言うが俺はそれにも当てはまらず20歳になっても賞賛の声を浴びていた。
俺って“選ばれた人間”だったりして。

別にそう思って生きてきたわけじゃないけど、大きくなっても褒められるばかりで特別叱られる事もないと勘違いもしやすくなる。

「167341・・167341・・16・・あった、あったじゃん、けんちゃんあった!」

当時の彼女が飛んで跳ねてまさに絵に描いたような大喜びをした国立医大の合格発表。

「ふっふっふ、俺ねぇ受かる気がしてたもん」

「えぇ、なんですごい!現役でそんな簡単に受からないよ普通!」

興奮の坩堝のいる彼女、まるであの時は彼女が受かったのかと思ったよ。

そのくらい冷静に状況把握ができていた。

ヒーローはいつでも選ばれる。これが俺の方程式。誰にも言ってないけどね。


医者を志す者の中でも特に頭の良い人じゃないとついてこれないと言われている脳神経外科。さすがに簡単とは言えない分野だったが、それだけに俺はのめり込んでいった。大学合格を共に喜んだ彼女とは時期に自然消滅し、教授と二人三脚で脳細胞の研究を重た。

「教授、この脳下垂体の裏にあるCIAという物質についてなんですけど(注釈1)」

「あぁそれか、それなら豪州のジェフ・キーンズ先生の文献を読んでみるといい(注釈2)」

「あ、はい、ありがとうございます」

卒論の時期には回りが何も見えなくなるほど一晩中研究していた。

でもこれだけ勉学に熱中してたのは後にも先にもこの時期だけで、医大の受験の時だって人並み程度しか勉強してないのだ。

頑張ってる自分を初めて感じた。

充実感というものをようやく手にできた。


この幸せを手放すのはとても残念だったが、時間は無限にあるわけではない。

いつくかの季節を越え、春を迎えれば医学生は研修医となり研究とは別に医者としての訓練を必要とされる。

僕なりにはそれなりに真剣に研修を受けているつもりだったが、教授の瞳にはそうは映らなかったらしい。見かねた教授が僕に声をかけてくれた。

「北村くん、アメリカに行ってこの分野の研究の続きをしてこないか」

「え、でもこの細胞AとBの間にある神経系に関しては・・」

「いいんだ、北村くんに任せようと思う。わしは老い先長くない、今更アメリカまで行って勉強する根性はないよ」

「はぁ・・」

「そんな信じられないというような顔をするな、アメリカに知り合いがいる。その病院で勤務しながら空いた時間に研究をする。環境は今とさほど変わらないだろうが、モチベーションはあがるんじゃないかと思ってな」

「はい、是非行かせて下さい」


そして俺は単身アメリカに渡った。郊外の病院で環境も良く、医師としてのスキルアップには最高の場所だった。例に漏れず日本から留学中の看護婦さんとお知り合いになり、平和な順風満帆な医者生活を歩き出していた。

それがある日を境に狂い始めた。

俺が助手を勤めたオペ(手術)で医療ミスが明らかになったのだ。クランケ(患者)は脳死状態になり、後に死亡と判断された。

「訴訟が起こればおそらく病院側が負ける、申し訳ないが君、責任を取る形で病院を辞めてくれないか?」

教授かの話を聞いたときは耳を疑った。割と楽観的な性格の俺もこの時ばかりはどうでもいいや、とは思えなかった。

「なんでですか?責任を取るのは普通執刀医なはずですよ?訴訟を避けたければその先生に辞めてもらえば・・。」

「馬鹿なことを言うんじゃない、我が外科病棟の産みの親とも呼べる大先生に辞めろなんて言えるはずがなかろう。それに君はまだ若い、アメリカの地で失敗してもまだ日本という土地でやり直せばいいじゃないか。」

この押し問答はすぐに終わった。俺が納得したわけでも病院が折れたわけでもない。ただあまりにくだらない大人の理屈に俺が呆れて何も言えなくなったからだ。形式上用意された移動先は田舎町の小さな病院。俺はそんなとこで働くためにアメリカに来たわけではないので当然断った。そして彼女と共にニューヨークへ。

しかし俺を待っていたのは明るい未来ではなかった。病院で働くことはできたものの、新人の使いっぱしりの仕事ばかりで何も勉強にならない。毎日がつまらなくなっていって、相変わらず意気揚々と働く彼女が気にいらなくなっていった。家のことを何もしない彼女。それに引き換え俺は最近家事と事務ばかりじゃないか。

神童の俺が家事ばかり?

天才脳外科医の卵が事務ばかり?

知らず知らずのうちに完成されていた分厚いプライドがヒビ割れていく。


そしてHEVENS DRIVEへ行く朝。夜勤から帰ってきた彼女が笑顔でこう言った。

「けんちゃん、あたしね、こんど主任になったんだ♪」

「・・・」

それを聞いて何を答えたのかも思い出せない。

気がつけば一時的な記憶がバッサリと抜け落ちていた。

ただHEVENS DRIVEに来たとき手にどす黒い血の後があり、服にも同じ物がついていた。手を洗いながら思い出せない記憶を想像で埋めていく。

きっと俺は彼女を殺した。

手に残る肉の感触がそう叫んでるから。

「あーゆー女が好みなわけ?」

いきなり声を掛けられた時は意味が分からなかった。

「見てたでしょ、今、あっち」

指差された方向には巨乳のオネエチャンがいて。なんの気無しに話しかけてきた男に内心感謝した。

「そーだね・・」

もう考えるのは止めよう。らしくないや。どーにかなる。

そうだ、俺の座右の銘は明日は明日の風が吹くだった!



「なんか随分街中まで来ちゃったね。」

「ね、それよりユッキー、後ろの二人は何してんの?」

バッグミラー越しに写るテツ&ケン。

「てっちゃんあーんしてあ〜〜ん。」

「けんちゃんもあ〜〜ん。」

どこから仕入れたのかチュパチャップスをお互いの口に持っていって食べさせるというラブラブぶり。

「ドンペリ飲み過ぎてオカシクなっちゃったんじゃない?」

「さっきはそういえばお菓子ばら蒔いてたもんね。」

ニコニコ終始笑顔の二人。きっと後ろから警察が追いかけてきてることなんて忘れてるに違いない。

「あー俺も飲み過ぎと食べ過ぎで眠くなってきた、ハイドあと運転よろしく。」

「え、ちょ、ユッキー?!」

「こいつらには絶対死神の祟りが待ってる、でなければオカシイ。」

サイドミラーに向かってブツブツと呟くハイドを尻目にユッキーは夢の中に落ちていった。

 

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